05


 舞子の生活は右手の怪我により不便を極めた。指の皮がことごとく消え失せていて、ちょっとした動作一つで鋭い苦痛が走るらしい。それがまた、手を安静にしていても、焚き火に顔を近づけてじっとしているだけで炙られ爛れるように、痛みは舞子から目を逸らさないのだ。
 あまりにも舞子が顔を歪めていたので、僕は自室からロキソニンを持ち出し舞子に飲ませた。服用の後まもなく鎮痛作用が現れた。晒された肉に剃刀を滑らせるが如く鋭利な痛みは失せ、それに合わせて舞子の顔色もいくらか血の気を帯びた。すると安堵したのは僕のほうであった。
 人は、己が傷ついていたほうが楽なのだ。我が物である苦痛なら、観察するのも容易だし、その程度についても判然と理解できる。しかし傷ついた他人の傍に居る人はそれができない。痛みは当人の占有物であり、果たして他者と本質的に共有する事は叶わない。ならば孤独に、損ねた者だけが一人傷と対峙するのが良いが、社会というものはいみじくも人間同士の連結の上に成り立ち、我々はその構造から逃れる事はできないのだ。故に、伝わらないものを、片一方しか理解できないものを、あるいは求め、あるいは差し出し、そして結局、それは無駄に終わる。この破局の際、より一層苦しいのは、なにも理解できない健常な方なのである。僕が安堵したのは、舞子の苦痛の全容は知れないまでも、目に見えて舞子の苦痛と思しきものが消えていったからである。あるいは看病の悦びとは、こういった痛みの消失の瞬間を目の当たりにする事で、その刹那を患者と共感する事にあるのかもしれない。
 ああ、痛みの消失の瞬間とは、終いには何処か。
 僕は舞子に、当面手の痛むうちは手を貸そうと申し出て、舞子はそれを微笑みと共に飲んだ。
 それから数日間、僕の日課は舞子の包帯を清潔なものへ換える事と、ロキソニンの白い粒を彼女に嚥下させることであった。それだけではなく、僕は舞子に食事を作り、僕の部屋に招いて彼女の口へ運んでやった。舞子は食事程度ならできると言ったが、当然箸など使えるはずもなく、また、左手ではスプーンやフォークですら意のままに扱えなかった。
 繰り返すが、僕はこのように、弱った人間になら優しくできるのだ。
 それは舞子がずっと、スイッチをオンにしている事と関係があるのだろう。

 舞子は怪我を負った翌日の晩に、躊躇ったあと声を震わせ「お風呂に入りたい」と言った。僕の部屋も舞子の部屋も冷房を効かせていたので、さほど汗をかく事もなかったが、彼女は自分の匂いが気になり始めたそうだ。僕は「入っておいで」と言ってすぐ、彼女は入浴も一人では難しいのだと気づいた。かといって、僕が舞子と混浴するわけにもいかず、やむを得ず熱い湯で濡らしたタオルをもって、舞子の体を拭くことにした。
 僕は躊躇い舞子は恥じた。お互い、急速に距離が縮まる関係に当惑していた。もし、女が男に肌を見せるまでに踏むべき順列があるとして、それは友情に始まり恋愛へと発展し(これを僕は友情の腐敗とさえ思う時があるが、この際それは別の問題である)、探り合い、寄せては返し、距離を詰め、ようやく素肌に至るのだろう。しかし今、舞子はその過程をほぼ無視して白い肌を僕に晒した。今は逢瀬とは違うが、面倒な階段を飛ばしても女が服を脱ぐのなら、世の男は女の裸のために、なんとややこしい迂回路を潜るのだろう。
 この舞子の裸体が看病のためであるのは重畳承知の上であるが、僕の秘めたる興奮は女を抱くときのそれと同じである。救えない。救わなくても良い。肝心なのは、己がそのような性情である事を、只ひたすらに覚えておくことなのだ。
 舞子の背の肌は染みもほくろも何もなく、中心に背骨のゆるやかな隆起が一筋走り、肩甲骨が均整に並び、腰に向かってくびれていた。僕は熱いタオルを手に持ち、さてどこから手をつけようかと悩んだ。あまりに白いと手のつけようがないのだ。すると舞子は首をすこしひねって「恥ずかしい」と呟いた。声が揺れていた。僕はごめんと言ってから、肩甲骨の谷間に走る背骨の上をタオルでなぞった。舞子が体をすこし跳ねさせ、なんとも言えない吐息を漏らした。舞子の背に生える産毛は透明なのか、いくら濡らしてもその姿はよく見えない。僕は力加減に気を配りその純白たる背を拭いた。
 舞子は乳房をバスタオルで隠しているので左手も使えない。背中を拭き上げた後、両腕も同じようにし、腹を拭こうとしたところで僕は今一度逡巡した。舞子の正面に回って良いかと聞くと、舞子は小さく首を振った。僕はそれでは後ろから抱くようにして拭く事になると言って、舞子はしばらく悩んで、お願いしますと答えた。僕はその通りにした。極力肌と触れ合わぬように、こちらが身を引いた。しかしそうすると僕の服が舞子の背を撫でるらしく、舞子は耐え切れず、切なそうに短く喘いだ。もうこのまま乳房も拭いてしまおうかと思ったが、舞子はありがとうもう大丈夫とそれを切り上げさせた。
 下半身も拭こうかと聞くと、舞子は背中がさっぱりすればそれで随分気が楽になると言ったので、僕はそれきりタオルを手放した。すると舞子は、何か香水はないかと僕に訊ねた。いくつか持っているが何故かと問うと、髪の脂が匂ってしまいそうだから、それでごまかしたいのだと明かした。なんだ、それなら僕が髪を洗ってやれば済む。舞子は申し訳なさそうに上着を着て、僕達は脱衣所にある洗面台に並んだ。
 シャワーを湯にして舞子をかがませる。美容師の真似事である。舞子の髪は短いので、シャンプーはすぐに泡立ち全体に馴染んだ。頭皮を揉むようにしていると、舞子はなんだか猫のような可愛らしい声で笑った。
 きもちいい。と舞子が言う。僕は、そうよかった、と答える。脱衣所に甘い香りが広がって、僕は妙に、幸福のような物の片鱗を味わった。

 舞子が帰ってから僕は小説を書くことにした。大学の課題であるこの創作は、男女が一名以上登場する事をその条件としている。舞子のスイッチに触れた僕は、今回の課題の主人公を舞子にしようと決めた。すると自然に、登場させるべき一人の男は僕自身となった。
 では登場人物に何をさせるか。今の僕は舞子の世話をしている。物語の中の僕にも、舞子の世話をさせるべきだろうか。それとも、舞子のスイッチについて誇張し物語性を持たせ展開していくべきだろうか。いや、僕は舞子についての小説を書きたいのだ。舞子のスイッチについて書きたいわけではない。まして僕自身の献身的介助についてなど、書きたくもない。
 舞子についての小説とは何か。ひいては個人についての小説とは何か。
 僕は、かねがね感じているのだが、個人についてその生涯や思想を基軸に書かれた小説は、その個人こそが舞台なのだ。街に住む男について書かれた小説は、街という舞台に男が登場するのではなく、男という舞台に街が登場するのである。だからこそ、小説の中の街は登場人物に適合し、調整され、大きな意味を持つのである。それは街という大分類から、あるいはカーペットや自転車のサドルの固さにまで及ぶ。
 よって、今回舞子について創作するにあたり、僕は舞子に馴染む世界を登場させなければならない。それにはまだ、僕は舞子について無知だ。僕は舞子について知りたい。
 ああ、これは何かに似ている。なんだっけ、これは、ええと……。

 ふと携帯電話が鳴動した。画面を見ると小沢綾乃の文字が浮かんでいた。彼女は文芸部の頃の先輩である。つまらない小説の中に、女性の持つ冷えた殺意を滲ませる点で、僕は彼女を少しだけ評価していた。
「もしもし、浩平くん?」
「ええ、お久しぶりです」
「ねえ、もうすぐ保則の命日だけど、帰って来るよね?」
「ええ、帰りますよ」
「よかった。保則、天国で浩平のこと考えてると思うんだ。だってほら、あなた達って、すっごく仲良かったから」
「ええ、そうですね」
「うんそれだけなの。一緒にお墓参り行こうね。保則の好きだった景虎(かげとら)の梅酒、買っておくから」
 僕は電話を切った。そして嘆息する。
 ほら、ほら、そうやって、人が死んだあとに、天国だなんて言うな。
 天国にいったらハッピーエンドか。
 ハッピーエンド!
 ふざけやがって!


sage