04 散る埃
何てことない春の日の話しだ。午後の土が臭い。土筆とか蛙とか、そいつらの表層から剥がれた寝起きの憂鬱が、肺をめぐる春に混ざっていた。私の頭上に展開する世界は、冬を越えてしばらく経った頃のありがちな青空と、千切れたティシューみたいな雲の散乱。そんな温い空気の中を贔屓のスウェディッシュ・ポップバンドを聴いてそぞろ歩きする。私はこのようにとぼとぼと歩くのが好きだ。見るともなしに世界を眺めてただ歩く。今日の草花は昨日に比べて成長したかとか、気温が徐々に上がってきているとか、そんなことは一切考えない。鼻先に脂が浮いてきたのを感じるまでだらりと歩く。そしてそれに気づく頃になると両足は勝手に動いている。私は毎度毎度、その両足の止め方を忘れるのだ。
今日もまた私は足の止め方を失念していた。どこに意識を集中すれば歩みは止まるのだろうか。そもそも勝手に動きやがるこの足は私の足なのだろうか。ああ、そうだ、心臓だって勝手に動くが私の心臓だ。心臓には勝手に止まってもらっては困るが、しかし両足は随意的に止まるべきだ。
よし、止まれ、止まれ、止まらない。なるほどこれは間違いか。止まろう、止まろう、止まらない。おかしいな。
同じリズムで歩を進める足元だけを見つめ繰り返す。止まれ止まれと、止まろう止まろうと。
「ちょ、ちょっと、おじさん!」
私の足は止まった。見知らぬ少女にぶつかって。仕方ないだろう、足元だけ見てたのだから、見えないところにいる人間を避けられるわけ無い。
「痛いんだけど」
モノトーンルックのチュニックを着た一重まぶたの女だった。足元で大量のミミズをすり潰している事を除けば、彼女は実に美しい。
「随分とミミズに恨みがあるようだね」
彼女の足元を指差す。まだ生きているのだろうか。それとも死んだまま動いているのだろうか。どちらにせよミミズは裂けたマカロニのような無残さを晒して尚蠢いていた。
「恨み? ミミズに?」
「そうさ。その、随分と壊してるから」
彼女は足元を一瞥し言う。
「ゴマをすりつぶすお婆さんはゴマに恨みがあるとでも言うのかしら?」
皮肉な口ぶりで彼女は言うと、ミミズの塊を右足ですり潰した。どこかで弾けるような音が聞こえたが、それがミミズから出た音かは知らない。私はミミズの挽き肉をあまり直視したくはなかった。しかし彼女の履く黒のミュールにへばり付くミミズの破片は綺麗だった。体液が滲み出て繊維に染みている。よく見ると肉片は彼女の踝にまで飛んでいた。ああ、あれは頭部だろうか。
「ゴマとミミズじゃ大違いさ。それともキミはミミズをすり下ろして料理にでも使おうってのかい」
「まさか。それだったらわたしきっとキッチンで殺してるわ」
憮然とした態度で彼女は言った。対面の双眸が私を直線で捉える。
「おじさん、ぶつかったんだから謝りなさいよ」
向こうから吹く風が彼女のうなじまである髪を散らした。シャンプーと汗の香りが私に届き、密かに残るあどけなさに内在する女の性を控えめに知らせた。彼女の眉は瞳の上で揃えられた前髪に隠れて見えない。命令するような要求の裏側に感情が見えてこないのは、きっと眉が隠れているからだろう。
だから私は謝らなかった。
「なぁ、キミは自分の足が止まらなくなったことってあるかい?」
怪訝な眼差しで彼女は首をかしげた。ミミズはもう動かない。
「私はしばしばあるんだよ。当て所なく歩くと止め処を失う。キミと衝突した時も、私は止まり方を忘れていてね」
彼女はふうん、と顎を引き私の足を見下ろす。
「それ、よく解るわ。わたしたった今そうなっていたもの」
「たった今と言うと、それ?」
彼女の靴の下からはみ出す散らかった死を指差す。
「そう、これ。止まらなくなっちゃうの。殺すのを」
「どうしてミミズなんか殺すんだ」
彼女は睫毛を何度か揺らす。
「初対面の人間に向かって随分と踏み込んでくるのね。間合いって知ってる?」
「踏み込むよりも踏み潰してるほうが随分さ」
「なに? おじさんミミズ愛好家? やたらとこれの肩持つのね」
これと呼ばれたのはミミズ達のようだ。
「なぁ、キミ」
「なによ」
「ミミズには肩がないよ」
彼女はこの日はじめて笑った。口角を上げて目じりを垂らす可愛らしい笑みだ。
へぇ、と彼女は私を覗き込む。
「おじさん面白いね。ていうか興味深いね。ちょっとお話しようよ」
彼女は私の返事を待たずに、ミミズのひき肉を素手で拾い集めた。両手いっぱいにミミズの肉をこねて団子にする。
「おじさん、ミミズには肩が無いって言ったよね」
私はミミズの団子を食い入るように見つめる。
「このミミズはこれから肩になるの」
肉塊は透明な体液で覆われていて日光を反射した。私は彼女の言った言葉に何事か反応をするべきだったのだろう。しかし彼女に手を引かれると、肉片と体液で汚れた彼女の指が私の掌に絡みつき(それは泥に手を埋める感触に似ていた)、その接点に滲む淫逸への期待に抗えなかった。
「おじさん! おじさん! 私に肩入れしてちょうだい!」
私の足は止まらない。
愚かしいことだけれどね。
「ちょっとキモいけど、ここ誰にも見つからないって有名なの」
「誰にも見つからない有名なところを初めて知ったよ」
確かに。と彼女は呟いて倒れた冷蔵庫のドアを開けた。冷蔵室の上に(あるいは下に)冷凍室がある標準的なものだ。彼女があけたのは冷蔵室の方で、こちらから見る限り通電していない。
「うげー臭くなってきたなぁ。春だからまぁ仕方ないけど」
冷蔵室の中にミミズの団子を投げ入れると、彼女は私を振り返り「あ、こっち来て座って」と手招きした。私はドアを閉めた冷蔵庫の上に腰を下ろす。彼女も私の隣に座り、お互いの足が触れ合った。
「ここはなんだい?」
「だから、誰にも見つからないことで有名な所って言ったけど」
「ああ、まぁいいけど。それで、私をこんなところに連れてきてどうしようってんだ?」
彼女は浅く嘆息し、小さな掌を私の手の甲に重ねた。彼女の手は少しだけ汗ばんでいるが、指先はひどく冷たい。
「誰にも見つからないところに来る理由は、誰にも見られたくないことをするため」
それはいったい何かと訊ねると、彼女は私にもたれ掛かり答える。
「わたし、ここで子ども作ってるの」
「それはまた、随分と遠まわしにストレートだね」
額に浮かぶ脂汗をぬぐう。
「で、キミは私とどうしたいんだ」
「セックスしたい」
彼女の細い指先が私の太腿を撫でる。そうして彼女は口をすぼめて言うのだ「期待してたでしょ?」と、さりげなく。
「それは子どもを作るために?」
「セックスってそんなに創造的?」
「それじゃ、いったい何のために」
彼女は鼻を鳴らし苛立ちを隠さずに私に問う。
「おじさんいくつ?」
「三十超えてから年齢は気にならなくなった」
「そう、それじゃ好きじゃない女を抱いたことくらいあるでしょ。そのとき愛の名の下に大義名分を背負い込んでセックスした? 万が一セックスにそういった高尚な感覚を求めるならそれでもいいけれど、わたしとする時は牛乳瓶につっこむような気持ちでしてくれて構わないから」
彼女の弁を聞きながら、私はチュニックのゆるく開いた胸元を見ていた。彼女はそれをワンピースのように着ているから、小さく膨らんだ胸や冷蔵庫のドアに乗せてもさほど潰れ広がらない腿がよく見える。下着の色は暗めだ。私は彼女とのセックスを想像する。果たして牛乳瓶とするセックスはセックスと呼べるのだろうか。
私は彼女の胸元から目を逸らし、太腿を撫でる手を掴み言う。
「セックスを交尾とか交配とか言わないのは、きっとそこにそれ以上の何かがあるからなんじゃないかな。だから私がキミと今セックスをしても、きっとそれは真っ当なセックスじゃない」
「結構まじめなんだね」
彼女はやおら立ち上がり私の腿の上に跨る。軽い体重と柔らかな素足の熱が私の理論を揺さぶる。
「ご飯食べて水飲んで、お風呂入って歯磨いてセックスする。顔洗って数学の宿題やって音楽聴いてセックスする。わたしはセックスなんてその程度の日常で良いと思ってるよ。バスで知らない人と相乗りするのと、知らない人とセックスするのなんて大差ない。セックスに漠然とした何かを求めるのは妙よ。して気持ち良いからする。そうでしょ?」
「でもセックスをすると相手を愛しく思ってしまう。それは毎日使う歯ブラシには持たない感情だ」
「愛しく思うのはその後しばらくでしょ。どうせ好きとかいう感情なんて、夕立みたいに脈絡無く現れては消えていくんだから」
「その夕立に濡れるのは私にとって厄介だ」
「まさか。雨に濡れたら着替えるくせに」
おじさんはおじさんの気持ちをやり過ごすだけで良いの。そう囁き彼女は私のペニスを撫でた。
攪拌される。彼女が私にもたれ掛かり耳を齧った。左耳が他人の粘性と硬質で濡れる。耳介に這う舌先を感じながら見上げると、梁から垂れるロープがじっと私たちを見ていた。天井が割れているのだろうか。日差しが屋根から落ちてくる。目を瞑ると彼女の熱を帯びた呼気が艶めいた音色を持つことに気づく。私もジーンズがきつくなってきた。
最後にセックスしたのはいつだったろうか。前の恋人と別れてから私も随分と歳をとった。目元に浮かぶ皺や艶を失い始めた爪先に気づいたのは三十路を超えた少し後だった。結婚もせず仕事に尽くす振りをして生き延びてきた今、スーツは体に馴染み髭剃りの技術は洗練されたが、私の手元には金以外の何も残ってはいない。時折知らされた友人の結婚や出産はそのどれもが希望に満ちすばらしい物であった。しかし私はそれらの幸福な潮流に乗ろうと行動したことは無い。苦手なのだ、無性に。
私は柔らかな体を抱きしめる。彼女がうれしそうに笑った。この小さな体はどのような人生を歩んできたのだろう。セックスを日常において多発的な、あるいはそれを咳やくしゃみなんかにも似たマンネリズムに止める人間の由来。見た目の若さにそぐわぬセックスの価値の墜落。
「なぁキミはいくつなんだ?」
「え、なに、お金なんていらないけど」
「ちがう。歳はいくつだ? と聞いたんだ」
「十x歳」
私は驚いて彼女を見る。頬の紅潮と双眸の潤み。唾液にまみれた唇。二十歳を超えているといわれて疑う人間は居ないだろう。
「十x歳って聞いたらしたくなくなった?」
「キミとすることは是とされていない」
「大人はみんなそう言う。駄目って言われてるからとか、罪だからとか」
それってしたいって意味とは違うの? という彼女(いや、より的確に表すならば彼女は少女だ)は私の答えを求めていなかった。私のファスナーを下ろし屹立を解放すると、少女は冷蔵庫に膝立ちとなりこちらを見下ろす。天井から零れてくる埃混じりの日差しに髪を光らせ、少女は片笑いしながらチュニックの裾を捲り上げた。
「全部着たまま。わたしが動くから、おじさん冷蔵庫から落ちないように踏ん張ってね」
私に少女が沈む。少しだけずらした下着が汚れるとか、避妊をしていないとか、恐らく少女は気にも留めていない。私にしがみ付き、目を瞑りやりづらそうに動いている。腰を滑らせ私を奥に奥に当てようと蠢く。いったいそこに何があるのだろう。少女の性器の奥深くに、この度のセックスを得心行くものとする答えはあるのだろうか。
粘液が音を立てる。黙り続けていた少女も蠕動の焦点を見極めたらしく、泣き始める幼子のような喘ぎを繰り返した。
「ね、いいよ、おじさんの好きなときにいって。わたし、どうせ、自分じゃないといけないから」
そう告げる少女の目には涙が浮かんでいた。
しばらくの後、私は一人だけでセックスに幕を閉じた。少女は最後の瞬間に力をこめて私を抱きしめた。
私たちは冷蔵庫に倒れこむ。少女の髪を撫でようかと手を回すと、掌がほんの少しだけ埃で汚れていた。
私はこの時、この薄汚れた空間で冷蔵庫だけが真っ白な理由を知ったのだ。
「ねぇ、おじさん」
少女が私を外した。少女の股ぐらから行為の事実が流れ出る。ああ、まずいな。私は目を逸らした。
「わたし、してるとき、どんな風だった?」
「どうって、普通さ」
「普通? 普通って言うのは、つまりわたしとおじさんは“普通に普通の”セックスしたってことね?」
「ああ、そうだよ」
私は先ほど自分が真っ当なセックスにはならないだろうと予見したのを覚えているが、そんなものは事後の虚脱感の前では塵やダニの死骸以下の些事でしかない。どうでもいいのだ、やってしまえば。
「普通に男女のするセックスをした。けれどそれが何か?」
「ううん! いいの! 良かった、それってつまり、わたしは女でおじさんは男だったってことだもん!」
少女の笑顔は満面に滲み広がる。壊れた天井からのどやかに垂れてくる日差しを受けて、両足に精液を垂らす少女の笑みは啓蟄を喜ぶ虫のように春めいていた。
ほら、そうだろ、セックスの後はいつもこうだ。相手が誰であれ、どのような経歴を持っていようとも、例えそれが行きずりだろうが、一切合切関係なくして、ある種の愛しさなんて感じてしまう。もちろんそれは錯覚であるが、しかし錯覚が錯覚になるまでには時間が必要で、残念ながらそれまでは真実なのである。馬鹿げているけれど、そうなのだ。
「キミは普通に女で、私も普通に男だった。キミにとってこれが大切なことなのか?」
「ええ、とても。だって、それって凄いことよ。自分を男じゃないって確信できるのは、なによりも大切なこと」
「男じゃないって、また遠まわしな言い方をするね」
「わたしにとってそれは全てだもん。さて、すっきりしたし、おじさんにお礼しなきゃ」
ちょっとそこどいてくれる? 少女が私の手を引き立ち上がらせる。鼻歌交じりに冷蔵庫へ向かう少女を見ながらファスナーを閉めるが、同時に何かで一度粘液を拭き取るべきだったと後悔した。
「ね、おじさん、覚えてる?」
少女は冷蔵庫の扉を開ける。ビニール袋をまさぐっているのだろう、耳につく高音が届いてくる。
「わたし、言ったよね」
軽やかな口調で少女は語る。私はこの時、天井から垂れるロープが揺れたのを見た。風か? まさか、いったいどこから。
「子どもを作っているって、そう言ったの、覚えてる?」
ああ、覚えているよ。
私はそのように答えたつもりである。
しかし、自分の声は聞こえてこなかった。
振り向く少女の両手には、
「これがその子」
恐るべき異臭を放つ赤子がひとつ、大切そうに抱えられていたのだ。
声が出ない。私はその赤子を凝視することしかできない。赤い。いや、赤黒い。そして不明瞭だ。
少女が一歩前に出る。漏れ落ちる日光に照らされて、赤子の姿が舞い散る埃の中に浮かんだ。
顔がない。
「ん? おじさんどうしたの? すごい汗が……」
顎先から水滴がいくつもこぼれる。
私は今一度その赤子を見た。そして違和感を覚える。顔がないというよりも、赤子の頭部はおぼろげに頭部の形をしているだけだった。まるで粘土をこねて作ったかのような歪な造形であった。注視すると顔以外にも、腕や足や胴体がみな、なにか土の塊のようなものでできている。
赤子は土のような物の塊に過ぎなかった。今はそう思いたい。あんな妙な物、私は今まで見たことがない。
「いったいそれは何だ?」
「いやだから子ども」
「赤ん坊か? いや、赤ん坊の人形か?」
「うーん」
少女は腕の中の物を一瞥する。
「いや、赤ちゃんって言うか、子ども? だよね、これって」
「私には赤ん坊のように見えるけど、いや、でも、それは、あまりにも」
人間離れしている。
「あ、ああ! そうかそうか、ごめんねおじさん説明不足で。これ、アレなの、ミミズの肉で作ってる人間」
私は何もいえなかった。ミミズの肉で作る人間とは、それはいったい、どういった人間だ。
「わりと常識だけど、ミミズって雌雄同体じゃない。すごく羨ましいなぁって思ってたの。だってさぁ、自分が女でしかないって、絶望じゃない?」
「キミは何を言ってるんだ」
「性は二つあるのにわたしって片方しか持ってない。すごく無様。わたしずっと、自分が縦に割れてるような気がしていたの。わたしの何かがどこかに消えている。ずっとそんな気がしていた」
少女は嫌になっちゃうよね、と言いながらミュールにたまった私の精液を掬った。そしてそれをミミズの人間の肩にこすり付ける。見ると肩が欠けていた。ああ、なるほど、出会ったときに殺していたミミズはそこを補うというわけか。
「でね、まぁ訳あってわたしは周りの子に比べて早い時期からセックスしていたの。すごいよね、セックスってさ、とりあえず満たされるんだもん。でも考えて。満たされるのは入り込む隙間がわたしの中にあったから。そこに男の人が入ってきてる間はとても幸せ。幸せすぎて死にたくなるくらい。あるべき姿に戻れたような、そういった密度を体の中に感じる」
少女はもう一度、太ももに手を這わせて精液を回収し、それをまたぞろミミズの人間に摺りこむ。
「色んな人とセックスしていくうちに、人間は本当は二人が繋がっている瞬間こそ完璧なんだって発見したの。だからしばらくはずっとずっとセックスばかりしていた。学校に行かず、学校に行っても授業を抜けて、ずっとしてた。でもね、なんだか不思議と満たされなくなってきたんだ。男の子も男の人もやたらと避妊したがるし、っていうかあれしたら本当の意味で壁作っちゃうしまぁそれはいいけど、終わった後どうしてもまた女に戻ってしまう」
そこまで言い切ると少女は冷蔵庫を振り返り、先ほど作ったばかりの粘液の光る肉塊を取り出した。それを欠けた肩に宛がい、千切ったり捏ねたりして形を整えていく。私にとってそれは、創造というよりも、もはや製造でしかなかった。
「でもそれは仕方ないこと。だってわたしは片方の性しか与えられずに生まれてきたんだもの。それを悔やむのは春から逃げようとするくらいに詮無いわ。決まりきったことに背を向けてもあっけなく正面に回られる。だから、わたしはこうすることにしたの」
少女はミミズの死肉で作られた子どもを私の前に掲げた。
「じゃかじゃーん。わたしの子ども。昔あったよね、わたしくらいの子が母親になるドラマ」
軽い調子で見せられたそれは醜悪な塊でしかない。こんなものを私に見せて、それでいったいどうしようというのだ。面倒極まりない世界観を押し付けて、それでその先どうすると?
「雌雄同体の肉で作られた人間。完璧。ミミズに倣って生まれてくるときに精子は必要だから、いろんな人から分けてもらったけど、それでもこの子は完璧だよ」
少女は依然として肩を接着しているが、何度やっても肩は本体と繋がらなかった。
「あーもう、足りないよこれじゃ」
冷蔵庫の上にミミズの塊が置かれる。私はあんなものを、人間だとは認めない。
「なぁキミ、私はもう帰らせてもらうよ」
「うわサイテー。セックスしてすぐ素っ気無くする男は滅びるべきね」
「そういう意味ではなくて、私にキミの世界は理解できそうにないって事だ」
少女は「世界なんてわけわかんないけどね」と呟きながらこちらに近寄り、私の両手を掴み挙げた。
「こういうの、好き? わたしは好き」
天井から垂れていたロープに私の諸手が添えられる。少女がその輪の結び目を強く引くと、輪は瞬く間に縮み私を緊縛した。
やられた。両手を塞がれてはどうすることもできない。
「おい、なんのつもりだ」
「あぁ、気にしないで。別に傷つけるつもりなんて無いよ。ちょっと接着剤が足りないみたいだから、今度は零さないようにちゃんとするね」
それから少女はじっと黙り小さな口で私の萎縮したペニスを咥えた。
上目遣いでこちらを見る少女はにこやかだった。
私は確かな快楽の波に抗えず、なされるがまま、ながされるまま、たゆたう事しかならなかった。
「あぁそうだおじさん」
口を外して髪をかきあげ少女は言った。
「これ終わったら帰っても良いよ。でも呼んだらまた来てね。今度はただのセックスしよう」
「私はもうここには来たくない」
「そう? 破格だと思うけど。わたし結構いろんな事できるよ」
私は首を振る。少女は少しだけ悲しそうに笑って、
「ここに連れて来た男の人って、いつもそれっきりになっちゃう。わたしとしては裸を見せるより恥ずかしい事なんだけどな、ここに招くの」
と言ったきり、口と舌を私に絡め続けた。
それから暫くして私は小屋を後にすることになる。
それまでずっと、冷蔵庫の上に横たわる子どもが、私たちのセックスを見つめていた。
以上
今日もまた私は足の止め方を失念していた。どこに意識を集中すれば歩みは止まるのだろうか。そもそも勝手に動きやがるこの足は私の足なのだろうか。ああ、そうだ、心臓だって勝手に動くが私の心臓だ。心臓には勝手に止まってもらっては困るが、しかし両足は随意的に止まるべきだ。
よし、止まれ、止まれ、止まらない。なるほどこれは間違いか。止まろう、止まろう、止まらない。おかしいな。
同じリズムで歩を進める足元だけを見つめ繰り返す。止まれ止まれと、止まろう止まろうと。
「ちょ、ちょっと、おじさん!」
私の足は止まった。見知らぬ少女にぶつかって。仕方ないだろう、足元だけ見てたのだから、見えないところにいる人間を避けられるわけ無い。
「痛いんだけど」
モノトーンルックのチュニックを着た一重まぶたの女だった。足元で大量のミミズをすり潰している事を除けば、彼女は実に美しい。
◇
彼女は挽き肉のような塊となったミミズの死骸の山に足を乗せたまま私を見ている。その表情は実に不満げだ。私より頭ひとつ分は小さな彼女が上目遣いでこちらを睨む。その瞳には光が反射していないように見えた。「随分とミミズに恨みがあるようだね」
彼女の足元を指差す。まだ生きているのだろうか。それとも死んだまま動いているのだろうか。どちらにせよミミズは裂けたマカロニのような無残さを晒して尚蠢いていた。
「恨み? ミミズに?」
「そうさ。その、随分と壊してるから」
彼女は足元を一瞥し言う。
「ゴマをすりつぶすお婆さんはゴマに恨みがあるとでも言うのかしら?」
皮肉な口ぶりで彼女は言うと、ミミズの塊を右足ですり潰した。どこかで弾けるような音が聞こえたが、それがミミズから出た音かは知らない。私はミミズの挽き肉をあまり直視したくはなかった。しかし彼女の履く黒のミュールにへばり付くミミズの破片は綺麗だった。体液が滲み出て繊維に染みている。よく見ると肉片は彼女の踝にまで飛んでいた。ああ、あれは頭部だろうか。
「ゴマとミミズじゃ大違いさ。それともキミはミミズをすり下ろして料理にでも使おうってのかい」
「まさか。それだったらわたしきっとキッチンで殺してるわ」
憮然とした態度で彼女は言った。対面の双眸が私を直線で捉える。
「おじさん、ぶつかったんだから謝りなさいよ」
向こうから吹く風が彼女のうなじまである髪を散らした。シャンプーと汗の香りが私に届き、密かに残るあどけなさに内在する女の性を控えめに知らせた。彼女の眉は瞳の上で揃えられた前髪に隠れて見えない。命令するような要求の裏側に感情が見えてこないのは、きっと眉が隠れているからだろう。
だから私は謝らなかった。
「なぁ、キミは自分の足が止まらなくなったことってあるかい?」
怪訝な眼差しで彼女は首をかしげた。ミミズはもう動かない。
「私はしばしばあるんだよ。当て所なく歩くと止め処を失う。キミと衝突した時も、私は止まり方を忘れていてね」
彼女はふうん、と顎を引き私の足を見下ろす。
「それ、よく解るわ。わたしたった今そうなっていたもの」
「たった今と言うと、それ?」
彼女の靴の下からはみ出す散らかった死を指差す。
「そう、これ。止まらなくなっちゃうの。殺すのを」
「どうしてミミズなんか殺すんだ」
彼女は睫毛を何度か揺らす。
「初対面の人間に向かって随分と踏み込んでくるのね。間合いって知ってる?」
「踏み込むよりも踏み潰してるほうが随分さ」
「なに? おじさんミミズ愛好家? やたらとこれの肩持つのね」
これと呼ばれたのはミミズ達のようだ。
「なぁ、キミ」
「なによ」
「ミミズには肩がないよ」
彼女はこの日はじめて笑った。口角を上げて目じりを垂らす可愛らしい笑みだ。
へぇ、と彼女は私を覗き込む。
「おじさん面白いね。ていうか興味深いね。ちょっとお話しようよ」
彼女は私の返事を待たずに、ミミズのひき肉を素手で拾い集めた。両手いっぱいにミミズの肉をこねて団子にする。
「おじさん、ミミズには肩が無いって言ったよね」
私はミミズの団子を食い入るように見つめる。
「このミミズはこれから肩になるの」
肉塊は透明な体液で覆われていて日光を反射した。私は彼女の言った言葉に何事か反応をするべきだったのだろう。しかし彼女に手を引かれると、肉片と体液で汚れた彼女の指が私の掌に絡みつき(それは泥に手を埋める感触に似ていた)、その接点に滲む淫逸への期待に抗えなかった。
「おじさん! おじさん! 私に肩入れしてちょうだい!」
私の足は止まらない。
愚かしいことだけれどね。
◇
裏路地にある狭い小屋だった。薄いベニヤを何枚も打ち合わせた簡素な空間には、埃と蜘蛛の巣にまみれた農機具が散乱している。目を引くのは倒れた真っ白い冷蔵庫と天井から垂れ下がるロープ。ロープの先端には死ぬのに最適な輪が結われていた。それの真下の土は黒く汚れている。「ちょっとキモいけど、ここ誰にも見つからないって有名なの」
「誰にも見つからない有名なところを初めて知ったよ」
確かに。と彼女は呟いて倒れた冷蔵庫のドアを開けた。冷蔵室の上に(あるいは下に)冷凍室がある標準的なものだ。彼女があけたのは冷蔵室の方で、こちらから見る限り通電していない。
「うげー臭くなってきたなぁ。春だからまぁ仕方ないけど」
冷蔵室の中にミミズの団子を投げ入れると、彼女は私を振り返り「あ、こっち来て座って」と手招きした。私はドアを閉めた冷蔵庫の上に腰を下ろす。彼女も私の隣に座り、お互いの足が触れ合った。
「ここはなんだい?」
「だから、誰にも見つからないことで有名な所って言ったけど」
「ああ、まぁいいけど。それで、私をこんなところに連れてきてどうしようってんだ?」
彼女は浅く嘆息し、小さな掌を私の手の甲に重ねた。彼女の手は少しだけ汗ばんでいるが、指先はひどく冷たい。
「誰にも見つからないところに来る理由は、誰にも見られたくないことをするため」
それはいったい何かと訊ねると、彼女は私にもたれ掛かり答える。
「わたし、ここで子ども作ってるの」
「それはまた、随分と遠まわしにストレートだね」
額に浮かぶ脂汗をぬぐう。
「で、キミは私とどうしたいんだ」
「セックスしたい」
彼女の細い指先が私の太腿を撫でる。そうして彼女は口をすぼめて言うのだ「期待してたでしょ?」と、さりげなく。
「それは子どもを作るために?」
「セックスってそんなに創造的?」
「それじゃ、いったい何のために」
彼女は鼻を鳴らし苛立ちを隠さずに私に問う。
「おじさんいくつ?」
「三十超えてから年齢は気にならなくなった」
「そう、それじゃ好きじゃない女を抱いたことくらいあるでしょ。そのとき愛の名の下に大義名分を背負い込んでセックスした? 万が一セックスにそういった高尚な感覚を求めるならそれでもいいけれど、わたしとする時は牛乳瓶につっこむような気持ちでしてくれて構わないから」
彼女の弁を聞きながら、私はチュニックのゆるく開いた胸元を見ていた。彼女はそれをワンピースのように着ているから、小さく膨らんだ胸や冷蔵庫のドアに乗せてもさほど潰れ広がらない腿がよく見える。下着の色は暗めだ。私は彼女とのセックスを想像する。果たして牛乳瓶とするセックスはセックスと呼べるのだろうか。
私は彼女の胸元から目を逸らし、太腿を撫でる手を掴み言う。
「セックスを交尾とか交配とか言わないのは、きっとそこにそれ以上の何かがあるからなんじゃないかな。だから私がキミと今セックスをしても、きっとそれは真っ当なセックスじゃない」
「結構まじめなんだね」
彼女はやおら立ち上がり私の腿の上に跨る。軽い体重と柔らかな素足の熱が私の理論を揺さぶる。
「ご飯食べて水飲んで、お風呂入って歯磨いてセックスする。顔洗って数学の宿題やって音楽聴いてセックスする。わたしはセックスなんてその程度の日常で良いと思ってるよ。バスで知らない人と相乗りするのと、知らない人とセックスするのなんて大差ない。セックスに漠然とした何かを求めるのは妙よ。して気持ち良いからする。そうでしょ?」
「でもセックスをすると相手を愛しく思ってしまう。それは毎日使う歯ブラシには持たない感情だ」
「愛しく思うのはその後しばらくでしょ。どうせ好きとかいう感情なんて、夕立みたいに脈絡無く現れては消えていくんだから」
「その夕立に濡れるのは私にとって厄介だ」
「まさか。雨に濡れたら着替えるくせに」
おじさんはおじさんの気持ちをやり過ごすだけで良いの。そう囁き彼女は私のペニスを撫でた。
攪拌される。彼女が私にもたれ掛かり耳を齧った。左耳が他人の粘性と硬質で濡れる。耳介に這う舌先を感じながら見上げると、梁から垂れるロープがじっと私たちを見ていた。天井が割れているのだろうか。日差しが屋根から落ちてくる。目を瞑ると彼女の熱を帯びた呼気が艶めいた音色を持つことに気づく。私もジーンズがきつくなってきた。
最後にセックスしたのはいつだったろうか。前の恋人と別れてから私も随分と歳をとった。目元に浮かぶ皺や艶を失い始めた爪先に気づいたのは三十路を超えた少し後だった。結婚もせず仕事に尽くす振りをして生き延びてきた今、スーツは体に馴染み髭剃りの技術は洗練されたが、私の手元には金以外の何も残ってはいない。時折知らされた友人の結婚や出産はそのどれもが希望に満ちすばらしい物であった。しかし私はそれらの幸福な潮流に乗ろうと行動したことは無い。苦手なのだ、無性に。
私は柔らかな体を抱きしめる。彼女がうれしそうに笑った。この小さな体はどのような人生を歩んできたのだろう。セックスを日常において多発的な、あるいはそれを咳やくしゃみなんかにも似たマンネリズムに止める人間の由来。見た目の若さにそぐわぬセックスの価値の墜落。
「なぁキミはいくつなんだ?」
「え、なに、お金なんていらないけど」
「ちがう。歳はいくつだ? と聞いたんだ」
「十x歳」
私は驚いて彼女を見る。頬の紅潮と双眸の潤み。唾液にまみれた唇。二十歳を超えているといわれて疑う人間は居ないだろう。
「十x歳って聞いたらしたくなくなった?」
「キミとすることは是とされていない」
「大人はみんなそう言う。駄目って言われてるからとか、罪だからとか」
それってしたいって意味とは違うの? という彼女(いや、より的確に表すならば彼女は少女だ)は私の答えを求めていなかった。私のファスナーを下ろし屹立を解放すると、少女は冷蔵庫に膝立ちとなりこちらを見下ろす。天井から零れてくる埃混じりの日差しに髪を光らせ、少女は片笑いしながらチュニックの裾を捲り上げた。
「全部着たまま。わたしが動くから、おじさん冷蔵庫から落ちないように踏ん張ってね」
私に少女が沈む。少しだけずらした下着が汚れるとか、避妊をしていないとか、恐らく少女は気にも留めていない。私にしがみ付き、目を瞑りやりづらそうに動いている。腰を滑らせ私を奥に奥に当てようと蠢く。いったいそこに何があるのだろう。少女の性器の奥深くに、この度のセックスを得心行くものとする答えはあるのだろうか。
粘液が音を立てる。黙り続けていた少女も蠕動の焦点を見極めたらしく、泣き始める幼子のような喘ぎを繰り返した。
「ね、いいよ、おじさんの好きなときにいって。わたし、どうせ、自分じゃないといけないから」
そう告げる少女の目には涙が浮かんでいた。
しばらくの後、私は一人だけでセックスに幕を閉じた。少女は最後の瞬間に力をこめて私を抱きしめた。
私たちは冷蔵庫に倒れこむ。少女の髪を撫でようかと手を回すと、掌がほんの少しだけ埃で汚れていた。
私はこの時、この薄汚れた空間で冷蔵庫だけが真っ白な理由を知ったのだ。
◇
お互いの性器が境界線を取り戻し始める。少女は私が果てた後に自らの手で絶頂を迎えた。私と繋がったまま必死に快楽にすがりつく様は見ていて異様であった。少女のとった行為はセックスと呼ぶには排他的で、自慰にしては孤独さに欠けていたのだ。少女は何か大切なものを見つけるかの様に己の表面を探り続けた。しかしそれは見つからなかったのだろう。探し物を見つけた人間は、私の上で脱力している少女みたいに、腐った葡萄のような惨めな顔をしないのだから。「ねぇ、おじさん」
少女が私を外した。少女の股ぐらから行為の事実が流れ出る。ああ、まずいな。私は目を逸らした。
「わたし、してるとき、どんな風だった?」
「どうって、普通さ」
「普通? 普通って言うのは、つまりわたしとおじさんは“普通に普通の”セックスしたってことね?」
「ああ、そうだよ」
私は先ほど自分が真っ当なセックスにはならないだろうと予見したのを覚えているが、そんなものは事後の虚脱感の前では塵やダニの死骸以下の些事でしかない。どうでもいいのだ、やってしまえば。
「普通に男女のするセックスをした。けれどそれが何か?」
「ううん! いいの! 良かった、それってつまり、わたしは女でおじさんは男だったってことだもん!」
少女の笑顔は満面に滲み広がる。壊れた天井からのどやかに垂れてくる日差しを受けて、両足に精液を垂らす少女の笑みは啓蟄を喜ぶ虫のように春めいていた。
ほら、そうだろ、セックスの後はいつもこうだ。相手が誰であれ、どのような経歴を持っていようとも、例えそれが行きずりだろうが、一切合切関係なくして、ある種の愛しさなんて感じてしまう。もちろんそれは錯覚であるが、しかし錯覚が錯覚になるまでには時間が必要で、残念ながらそれまでは真実なのである。馬鹿げているけれど、そうなのだ。
「キミは普通に女で、私も普通に男だった。キミにとってこれが大切なことなのか?」
「ええ、とても。だって、それって凄いことよ。自分を男じゃないって確信できるのは、なによりも大切なこと」
「男じゃないって、また遠まわしな言い方をするね」
「わたしにとってそれは全てだもん。さて、すっきりしたし、おじさんにお礼しなきゃ」
ちょっとそこどいてくれる? 少女が私の手を引き立ち上がらせる。鼻歌交じりに冷蔵庫へ向かう少女を見ながらファスナーを閉めるが、同時に何かで一度粘液を拭き取るべきだったと後悔した。
「ね、おじさん、覚えてる?」
少女は冷蔵庫の扉を開ける。ビニール袋をまさぐっているのだろう、耳につく高音が届いてくる。
「わたし、言ったよね」
軽やかな口調で少女は語る。私はこの時、天井から垂れるロープが揺れたのを見た。風か? まさか、いったいどこから。
「子どもを作っているって、そう言ったの、覚えてる?」
ああ、覚えているよ。
私はそのように答えたつもりである。
しかし、自分の声は聞こえてこなかった。
振り向く少女の両手には、
「これがその子」
恐るべき異臭を放つ赤子がひとつ、大切そうに抱えられていたのだ。
声が出ない。私はその赤子を凝視することしかできない。赤い。いや、赤黒い。そして不明瞭だ。
少女が一歩前に出る。漏れ落ちる日光に照らされて、赤子の姿が舞い散る埃の中に浮かんだ。
顔がない。
「ん? おじさんどうしたの? すごい汗が……」
顎先から水滴がいくつもこぼれる。
私は今一度その赤子を見た。そして違和感を覚える。顔がないというよりも、赤子の頭部はおぼろげに頭部の形をしているだけだった。まるで粘土をこねて作ったかのような歪な造形であった。注視すると顔以外にも、腕や足や胴体がみな、なにか土の塊のようなものでできている。
赤子は土のような物の塊に過ぎなかった。今はそう思いたい。あんな妙な物、私は今まで見たことがない。
「いったいそれは何だ?」
「いやだから子ども」
「赤ん坊か? いや、赤ん坊の人形か?」
「うーん」
少女は腕の中の物を一瞥する。
「いや、赤ちゃんって言うか、子ども? だよね、これって」
「私には赤ん坊のように見えるけど、いや、でも、それは、あまりにも」
人間離れしている。
「あ、ああ! そうかそうか、ごめんねおじさん説明不足で。これ、アレなの、ミミズの肉で作ってる人間」
私は何もいえなかった。ミミズの肉で作る人間とは、それはいったい、どういった人間だ。
「わりと常識だけど、ミミズって雌雄同体じゃない。すごく羨ましいなぁって思ってたの。だってさぁ、自分が女でしかないって、絶望じゃない?」
「キミは何を言ってるんだ」
「性は二つあるのにわたしって片方しか持ってない。すごく無様。わたしずっと、自分が縦に割れてるような気がしていたの。わたしの何かがどこかに消えている。ずっとそんな気がしていた」
少女は嫌になっちゃうよね、と言いながらミュールにたまった私の精液を掬った。そしてそれをミミズの人間の肩にこすり付ける。見ると肩が欠けていた。ああ、なるほど、出会ったときに殺していたミミズはそこを補うというわけか。
「でね、まぁ訳あってわたしは周りの子に比べて早い時期からセックスしていたの。すごいよね、セックスってさ、とりあえず満たされるんだもん。でも考えて。満たされるのは入り込む隙間がわたしの中にあったから。そこに男の人が入ってきてる間はとても幸せ。幸せすぎて死にたくなるくらい。あるべき姿に戻れたような、そういった密度を体の中に感じる」
少女はもう一度、太ももに手を這わせて精液を回収し、それをまたぞろミミズの人間に摺りこむ。
「色んな人とセックスしていくうちに、人間は本当は二人が繋がっている瞬間こそ完璧なんだって発見したの。だからしばらくはずっとずっとセックスばかりしていた。学校に行かず、学校に行っても授業を抜けて、ずっとしてた。でもね、なんだか不思議と満たされなくなってきたんだ。男の子も男の人もやたらと避妊したがるし、っていうかあれしたら本当の意味で壁作っちゃうしまぁそれはいいけど、終わった後どうしてもまた女に戻ってしまう」
そこまで言い切ると少女は冷蔵庫を振り返り、先ほど作ったばかりの粘液の光る肉塊を取り出した。それを欠けた肩に宛がい、千切ったり捏ねたりして形を整えていく。私にとってそれは、創造というよりも、もはや製造でしかなかった。
「でもそれは仕方ないこと。だってわたしは片方の性しか与えられずに生まれてきたんだもの。それを悔やむのは春から逃げようとするくらいに詮無いわ。決まりきったことに背を向けてもあっけなく正面に回られる。だから、わたしはこうすることにしたの」
少女はミミズの死肉で作られた子どもを私の前に掲げた。
「じゃかじゃーん。わたしの子ども。昔あったよね、わたしくらいの子が母親になるドラマ」
軽い調子で見せられたそれは醜悪な塊でしかない。こんなものを私に見せて、それでいったいどうしようというのだ。面倒極まりない世界観を押し付けて、それでその先どうすると?
「雌雄同体の肉で作られた人間。完璧。ミミズに倣って生まれてくるときに精子は必要だから、いろんな人から分けてもらったけど、それでもこの子は完璧だよ」
少女は依然として肩を接着しているが、何度やっても肩は本体と繋がらなかった。
「あーもう、足りないよこれじゃ」
冷蔵庫の上にミミズの塊が置かれる。私はあんなものを、人間だとは認めない。
「なぁキミ、私はもう帰らせてもらうよ」
「うわサイテー。セックスしてすぐ素っ気無くする男は滅びるべきね」
「そういう意味ではなくて、私にキミの世界は理解できそうにないって事だ」
少女は「世界なんてわけわかんないけどね」と呟きながらこちらに近寄り、私の両手を掴み挙げた。
「こういうの、好き? わたしは好き」
天井から垂れていたロープに私の諸手が添えられる。少女がその輪の結び目を強く引くと、輪は瞬く間に縮み私を緊縛した。
やられた。両手を塞がれてはどうすることもできない。
「おい、なんのつもりだ」
「あぁ、気にしないで。別に傷つけるつもりなんて無いよ。ちょっと接着剤が足りないみたいだから、今度は零さないようにちゃんとするね」
それから少女はじっと黙り小さな口で私の萎縮したペニスを咥えた。
上目遣いでこちらを見る少女はにこやかだった。
私は確かな快楽の波に抗えず、なされるがまま、ながされるまま、たゆたう事しかならなかった。
「あぁそうだおじさん」
口を外して髪をかきあげ少女は言った。
「これ終わったら帰っても良いよ。でも呼んだらまた来てね。今度はただのセックスしよう」
「私はもうここには来たくない」
「そう? 破格だと思うけど。わたし結構いろんな事できるよ」
私は首を振る。少女は少しだけ悲しそうに笑って、
「ここに連れて来た男の人って、いつもそれっきりになっちゃう。わたしとしては裸を見せるより恥ずかしい事なんだけどな、ここに招くの」
と言ったきり、口と舌を私に絡め続けた。
それから暫くして私は小屋を後にすることになる。
それまでずっと、冷蔵庫の上に横たわる子どもが、私たちのセックスを見つめていた。
以上