『夏を売る少女のはなし』


 夏を売る女の子は普通を消したかったのです。
 毎日暑いのは嫌でした。蝉も毎日うるさくて嫌でした。じっとしてると汗が出て、女の子はそれが少し怖かったのです。だから売ってしまおうと思いました。
 ある日、男の人が夏を売るお店に来ました。女の子は一目惚れしました。
 男の人は
「この店にある夏を全てください」
 と言いました。女の子はびっくりして、でもうれしくて、お店にある夏を全部売りました。男の人は満足そうに帰っていきました。
 女の子は夜になってお店を閉める時に思いました。もう売る夏がないから、あの男の人がお店に来ることはないのです。もう会えないのです。女の子は悲しくなりました。すっかり夏の気配が消えた店内で、女の子は呆然と空っぽの商品棚を見つめてから、二階の自室へ戻って眠りました。いつもなら聞こえてくる蝉の声もその日はありませんでした。
 次の日、女の子はお店を開けました。けれど、もう売る夏は残っていません。お店はとても静かで、女の子は夏が消えたことに、あらためてほっとしました。けれど、すぐ寂しくなりました。
 もうあの男の人に会えないのね。
 女の子は我慢できなくなりました。お店を飛び出して男の人を探しました。街を走ると、すっかり夏になっていました。
 きっとあの男の人が買った夏だわ。自分だけじゃ多すぎるから、みんなにも分けてあげたんだわ。
 女の子は、汗をたくさんかきながら街中を走りました。
 不快で、不快で、堪りませんでした。
 男の人は見つかりませんでした。夜になって、涼しくなって、女の子はとぼとぼお店へ帰りました。女の子は夏の夜はそれほど嫌いではないので、道すがら散歩をすることにしました。
 風の抜ける土手を歩いていると、遠くで花火が上がったのが見えました。女の子は、なんだかその花火に触りたくなって、遠くの空を目指して歩きました。
 ずっとずっと歩いている内に、花火は終わりました。急にひとりぼっちになった気がして、女の子は寂しくなり泣きました。
 すると、男の人が現れました。お店の夏をすべて買った男の人でした。
「やあ、こんなところで、どうして泣いているの?」
 女の子は答えました。
「だってひとりぼっちになっちゃったもの。あなたも居ないもの」
 男の人は言いました。
「僕を見つけられた?」
 女の子は首を傾げて答えます。
「ええ、だってあなた今、私の眼の前にいるじゃない」
 男の人は満足そうに頷くと、女の子の手を引いて歩きました。
「僕はね、君のお店で夏を買ってから世界にばらまいたのさ。君の所だけに夏があるなんてどうかしているからね。夏っていうのは、平等にもたらされるものなのさ」
「ええ、あなたが言うなら間違いないのね。でも私、暑いのって嫌い」
「嫌だからといって、自分のお店に閉まっておいたんじゃ、僕には会えなかった」
「あら、私がお店に蓄えて、それを売っていたからあなたに会えたのよ」
「なるほど。あのお店からは夏の匂いが溢れていたしね。暑いのが嫌いなのに、よくあんなお店を構えられたもんだ」
 女の子は、男の人の手を強く握りました。
「私、あなたに会うために暑いのを我慢していたのかもしれない」
 二人はゆっくり歩きました。
 土手はどこまでも続いているかのようでした。
「私たち、ずっといっしょに居られるかしら」
「うん。君が夏を売ったから、世界はやっと普通になった。世界はやっと完璧になった」
 男の人が、女の子の手に力を込め、クソみたいに最高な世界になった、と続けました。
「ファッキン・スペシャル?」
「そう、ファッキン・スペシャル」
 女の子は走り出しました。
「世界に四季が戻ったわ! そうしたら、私達、離れられるわけがない!」
 男の人は、女の子に向かって叫びます。
「ようやっと不快が分配されたね! 僕たちはずっと一緒だ!」
 女の子は走ります。
 男の人は、その後ろをゆっくりと追いかけます。
 花火はとっくに燃え尽きていて、今や火薬さえ香りません。どこまでも続くような土手は真っ暗でした。そしてそこはとても蒸し暑い……完璧な夏の夜なのです。
 そのような世界など、二人にとって居場所ではないのですが、それでも不快をよしなにわけあって、わけあって、四季折々をどうか幸福に過ごせますように!



sage